プリンス・エドワード島で愛され続けている作家
ルーシー・モード・モンゴメリは、1874年11月30日、プリンス・エドワード島の北海岸に位置するクリフトン(現在のニューロンドン)に生まれました。両親はヒュー・ジョン・モンゴメリとクレアラ・ウールナー・マクニール。モンゴメリがまだ幼いころに母親が亡くなり、その後はキャベンディッシュの母方の祖父母に育てられました。
1905年、モンゴメリは小説『赤毛のアン』をいくつかの出版社に送りますが、すべて送り返されてしまいます。悔しさのあまり、原稿を屋根裏部屋の帽子箱にしまいこんでいましたが、後になって原稿を再度読み返し、「もう一度やってみよう」と決意します。そこで原稿をボストンのL.C.ペイジ社に郵送したところ、1908年6月に『赤毛のアン』が出版され、瞬く間にベストセラーとなりました。
モンゴメリは数多くの短編小説、詩、エッセイを執筆し、『可愛いエミリー』、『丘の家のジェーン』、『銀の森のパット』、『ストーリー・ガール』など、プリンス・エドワード島を舞台にしたベストセラーを含む20冊の小説を書いています。また、彼女は日記を書くことにも熱心で、地域社会、家族の病気や死、戦争の悲惨さ、自分自身の苦しみなど、事実や考えを日記に綴っていました。彼女の憂いに満ちた記録は、小説の中での生命、自然、美、そして友情への愛の表現と対照的でした。
ひとはやすらぎがいかなるものかを決して知りはしない―夏の夕暮れどき、露がおりはじめ、なつかしい昔なじみの星たちがまたたき出し、海がその愛する小さな島と夜ごとの逢い引きをする頃、プリンス・エドワード島の海辺や野原を、あるいは曲がりくねった赤土の道を歩いてみるまでは。― ルーシー・モード・モンゴメリ
モンゴメリの作品は、カナダで最も小さな州にとても大きな影響を与えました。それは、島を訪れる人々を惹きつけるこの島の魅力と穏やかさを、彼女の作品が完全に捉えているからです。
モンゴメリに関する豆知識
- L.M.モンゴメリは、祖父母の家に隣接するキャベンディッシュ合同教会でオルガン奏者を務めていました。
- シャーロットタウンのプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジで教員免許を取得し、その後、ノバスコシア州ハリファックスのダルハウジー大学で文学を学びました。
- 彼女は長老派教会の牧師であるユーアン・マクドナルドと結婚し、その後オンタリオ州に移住しました。
- 二人の間には、チェスター(1912-1963)、ヒュー(1914年に死産)、スチュアート(1915-1982)の3人の息子がいました。
- オンタリオ州で彼女が住んでいたリースクデールの牧師館、プリンス・エドワード島州のグリーン・ゲイブルズ・ヘリテイジ・プレイスとモンゴメリの住居跡は、いずれもカナダ国定史跡となっています。
- モンゴメリは1942年4月24日にトロントの自宅で亡くなりました。プリンス・エドワード島のキャベンディッシュにあるキャベンディッシュ共同墓地に埋葬されています。